忘れないうちにと思いつつ、もう2週間以上たってしまいましたがGWに体験したことをシェアします。

東京・浜松町で開催されている ダイアログ・イン・ザ・ダーク というイベントに行ってきました

夫と息子(6歳)と一緒に家族3人でチャレンジ。

暗闇でのアクティビティとあって、まず息子に暗闇に入ること自体を拒否されたり、怖がられたりするのを受け入れられるよう、心の準備をしてから説明に臨みました。

視覚障害の方が使うのと同じ白杖を明るい部屋で身長に合わせて選び、次に進んだのは小さなライトで照らされた説明をしていただくお部屋。

同じチームでの参加者は私を含め5名(うち二人が小学校1年生)おり、全員に向けた説明をしてくださります。

アテンドしてくださったのは全盲の「なぎ」さんでした。

閉ざされた視界と、開かれた感覚

なぎさんは、それぞれの状況を配慮しながら、ていねいに楽しく、これから起こることや白杖を使ううえでの注意等について説明をしてくださいました。

私たちはそこで安心を得て、息子の「わくわく」という心境も聴けたので更なる闇に旅立つ決意ができました。

次のお部屋からは目が慣れることのない暗闇。白杖を持って、勇気を出して突入します。

そこでは、声を掛け合わないとわからない位置関係を、言葉で助け合いながら歩みます。足元の感触や周囲の空間にも、何があるかたくさん触って、気を付けて。

触覚と嗅覚と聴覚を総動員して、次に起こることに備えながら恐る恐る動き始めます。

みんなで座ってのアクティビティがあったのですが、これから楽しむ方のネタバレになってしまうので詳しい内容は伏せますね。

そのときに、

「○○ちゃん(自分のあだ名)、立つよ~」

と実況中継してから立つと周りの人にとって親切‥‥という通常とは違う思いやりが存在しました。

普段はいかに目に頼って、自分の尺度での決めつけや思い込みに合わせて会話していたかを痛いほど感じることに。

たくさんの気づきがあったので、話題ごとにまとめてみます。

(実際は、目を開けても真っ暗。この写真↑は、説明のお部屋くらいの明るさです)

意味をたくさん含む言葉

アテンドしてくれた、なぎさんはみんなのお助け役。

「なぎ、どこー?」

とは、90分間の旅のなかで、誰からとなく聞こえてきた言葉です。

そこで感じたことは、今まで使っていた言葉の意味が変わるかもしれない、という感覚。

「なぎ、どこー?」

の一言には、純粋な質問として位置を問うほかに

信頼しているよ、という気持ちの表明と、「私はここにいるよ!」というサポート、協力の意味合いもちょっぴり含まれます。頼りにしているよ、位置を教えてください、という言葉でありながら、「ここにいるよ」と協力する意思を示す言葉にもなる。

発言自体がサポートにもなり得る世界‥‥。

全員が、同じ暗闇を味わえていること(パワーウィズの関係)に有難さを感じました。

もし道徳的な観点で、「見えない人には声をかけましょう」という指導なら、決して腑に落ちなかった感覚だと思います。遠慮を良しとする、日本人の美徳を超えて、「伝え、話し合う勇気」そして「お互いを思いやる温かさ」をもらいました。

根性論ではないポジティブさ

突然の告白ですが、私は中学生くらいから斜に構えたところがありました。人に頼るのを嫌がるというか、独りよがりの「自立」を目指していたというか‥‥。

その思いの始まりは、「親には自分の気持ちは伝わりっこない」という諦めに近い気持ちだったかと思います。

特に体育会系のノリにはついていけず、「努力は必ず報われる」とか、「根性で乗り越えろ」的な思想がどうにも苦手で、いまだに避けているところがあります。

でも、このたび暗闇で必要に迫られて

「わ‥‥私、ここにいますっ!」

「どこに行けばいいの? ○○さん、声出して!」

「これを渡す方向を知りたいから、手を叩いてくれる?」

などとコミュニケーションをするのには、もう「遠慮」とか、「疑ってかかる」という態度はまったく要らない、というか、むしろ邪魔なんですよね。

それがもし「前向きさ/ポジティブ」の本質だったなら、かっこつけずに人に頼ってもよかった、あるいは声をかけて心の扉を開いてもらえばよかった、ときっと気づけたはず。

昔の自分に「必要なだけ、わかってもらえるまで素直に会話しても良いんだよ」と教えてあげたくなりました。

ラリーする勇気を出す=対話への一歩?

このイベントのタイトルでもある「ダイアログ=対話」。ディスカッション(協議)、ディベート(二チームでの討論)でもなく、ダイアログ、なんですよね。

おそらく、心の奥深いレベルでつながって個人のやりとりをすることを、対話としているのではないかと思うのです。

その「対話」の本質はいまだに勉強中です。

(NVC:共感コミュニケーションは引き続き学んでおります。詳しくは以下の記事で↓)

いつも、ほんとうの気持ちとつながる ~NVC・非暴力コミュニケーション~

でもイベントでの体感ややりとりを通じて、ヒントが見え隠れした気がします。

たとえば、自分がしてほしいことを伝えるのは、時によってはわがままと捉えかねないですよね。それを恐れる気持ち、痛いほどわかります。私がいまだに手放せていないから‥‥。

「言わない方が楽」と思ってきたことも、それこそ何万回とあります。ただ、その我慢と恐れを手放してみたらどうだろう、と今回の体験で感じました。

その瞬間に言わないと、相手が移動しているかもしれないし、叶うチャンスが永遠になくなるかもしれない‥‥。

あるいは、言わなかったことで負ってしまう、自分の小さな傷のことを無視しつづけていいのか、という思いもあります。

今回は、当然ながら深刻な選択に迫られることはまったくない、安全なアクティビティでしたが、それでも互いの気配も感じられない暗闇というのはそれだけの危機感がありました。

あとで言おう、と「計らう」ことも、文字通りできない、時間の流れが変わってしまったかのような感覚‥‥。

対話の流れや気持ちをどこかで堰(せ)き止めてしまっては、ゴールにたどり着けないような、もどかしさ。

今の不安を口にしないと、だれも気付けないし、安心できるように自分をケアしなければ、積極的に動いて協力する立場にもなれない。

日本人が、特に女性が得意な「察する」を封じられた世界での、健やかな過ごし方を教えてもらったと思っています。

つまり、適度にわがままで良いんだよ、という状態です。

イベントのなかで自然と出てきた言葉や動作は、素の自分が本来持っていたもののように思えて、その表出を祝う気持ちと同時に、自分が生きていること自体を愛おしく思いました。

心の防御装置にさよならを

たとえ思いやりであっても、自分の価値観と違う人の前で、一線を引いて区別してしまう感覚。

心のなかに、堰(せき)をつくって、他の流れが入り込まないようにダムのように溜めてきた想い。

そのバリアが無駄だったとは、小さい頃の自分には言えないです。

なにかと未熟な子ども時代には必要な線引きだったのかもしれず、線を引くことで考える時間を作ったり、自分なりの価値観を構築したりしていたのだろう、と思います。

でも大人になった今、そんな防御装置を心の中に作らなくても、もっとあいまいな境界線のほうが気持ちよく過ごせるのではないか、と考え始めています。

その気づきもまったく遅ればせながら、で恥ずかしいくらいです。

思考では理解していても、実感がずっと伴わなくて、すこし困っていました。

しかし振り返れば、赤ちゃんを産んでママになったときも、いつの間にか、そのあいまいな境界線を越えていた気がします。

ママになったら、どんな風に自分が変わるんだろう、と期待と不安がごちゃ混ぜのまま、気が付けばママ生活も6年生。子どもを授かれず(ママになれず)に泣いた日も、バタバタしている今日も、なんら変わっていないような気もします。

ただ、立場が変わったことで起こり得る経験がちょっと変わっただけ、ともう少し気楽に、線をもう引かないで、考えられたらと願っています。

それぞれの経験や生き方を比べること自体、ナンセンスですが、苦労の多寡はあるかと思います。

成しえないことを遂げた偉人にはもちろんリスペクトして、そのような経験談や伝記を読むのも大好きですが、一方で災害や障害など苦難に遭われている方への思いやりは大切ですよね。

一線を引いて区別することでの安心、ではなくて、区別しないことでもっと広い共感を深められる大人になりたいな、と人生の(おそらく)折り返し地点で感じています。

まずは我慢しない勇気をもって対話に臨む、かしら‥‥。

長文へのお付き合い、ありがとうございました。

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